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2011年6月22日 (水)

夏 至 の頃

 

子供の頃より、夏至と冬至には特別な思い入れがあった。
それは冬から夏、夏から冬にむかって、地球という天体が大きく向きを変え始める日だったからだ。実は遠い昔、少年だった僕には天文学者になってみたいと言う夢があった。そんな思いがあって小学生の頃から、天文学をいろいろと独学で学び本をひも解いていたのだった。当時小学校の先生ですら一番陽の長い日と短い日としか知らなかった時に、僕の目には月のあたりからの眺めだろうか、地球と太陽との位置関係がありありと浮かんでいたものだった。そんな理由で特別な思い入れとは、純粋に天文学的なものでしかないのだけれど。

御存じのご諸兄も多いと思うが、地球の自転軸(地軸)は23.4度傾いている。それが地球に四季をもたらす、神が造り賜もうた奇跡の角度だという事をその頃知った。もしそれよりも角度が少しでも深かったり、浅かったりしていたならば、この美しい日本の二十四節季はきっと生まれなかったにちがいない。
春分の日と秋分の日はそこに至るただの通過点なので、あまり興味はなかったのだが。宗教上の理由でお彼岸があり、祭日と言う恩恵にだけは浴してきた一人なのだった。もともと祭日のない6月と8月の祝日法改定を密かに望んでいるのはたぶん僕だけではないだろう。

***

先日、友人宅に招待を受けた。
なんでも細君が5年程かけて作り上げた自慢の薔薇庭だそうで、メールの追伸にはカメラ必須とだけ記されてあった。この季節どこの庭でもわりとポピュラーに見かけるのが薔薇なのだが、さすがに彼のところのは凄かった。家の半分が薔薇で覆われているといってもいいくらいなのだ。そこを歩きながら、細君が薔薇の名前と特徴を細かく説明してくれたのだが。けれども僕にとっては種類があまりにも多すぎて、真ん中あたりからわけが解からなくなってしまっていた。

そんな庭の片隅で、片羽の妖精と出逢った。
そちこちに可愛らしいリスとかウサギとかが沢山いたのだが、薔薇の間から洩れる日差しの中で、白く光っている彼女に強く惹かれてしまった。
最初に見かけたのは、ちょうどこの反対側の右手後方からで、折れた羽根のあるべき位置に横顔が、そして大きく感じた左側だけの羽根が目に入ったからだった。
今この絵を見てふと想ふ。
たとえば右側の羽根が付いていたと仮定しよう。その陰になって横顔が隠れていたならば、きっと目に留まらなかったのではないだろうかと。
   
  

1106041  

< ストーリー >
山形県米沢市

 
この妖精を眺めていたら、ある事に対してまだ意地を張り続けている自分に再び気付かされてしまった。今はもうない右側の羽根は、ずっと以前に自分の中で失ってしまった何かと、重ねてしまっているのだろうが。何事も完ぺきである必要もなく、以前僕が暮らしていたデジタルの世界のように0か1、true か false のよう振る舞うべきではないことは知っていたはずだが。また昔の悪い癖が出てしまっていたようだ。


庭の奥で聞こえる友人の声で我にかえり、今度はリビングに通されて麦酒を楽しむ。
ふと窓辺に目をやりおどろいた。おそらく夜の灯りのせいだろうか、薔薇が室内を向いて咲いているのだ。なんと贅沢な空間だろうか、室内から眺める外の薔薇たちも実に美しいものだ。

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< 窓 辺 >

2011年初夏。

それは・・・・・

まさに薔薇のかをりが運んでくれた今年の夏至だった。

 


< さくらんぼの実る頃 > を聴きながら


1106043

< 2011 夏至の記憶 >

   
昔人は日あしの変化を畳の目に例えてゐた。
畳のある日本間でしか見ることの叶わない、風流な季節のうつろひの表現だとおもふ。

明日から畳の目一つか二つほど毎日日差しが短くなつて冬至へと流れてゆく。
そして冬至が過ぎれば、寒さはますます厳しくなるばかりなのだけれど。
そういえば2月も末頃の厳冬期、日中融けだした水たまりに夕方冷え込んできて、烏の足跡が出来る頃もう大分日が長くなっているのに気が付く事がある。

光の春はもう訪れてゐるのである。

 
 
 

  

    
 

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