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2011年6月 3日 (金)

まるで 昨日のことのやうに (Ⅰ)

  

昨年8月頃に記した"ノスタルジック・ストーリー"を彷彿とさせるやうな光景に、同じ頃に出逢ってゐた事に気がつゐた。
それは図柄が刻まれたり、外の景色が少しゆがむムラのある昔懐かしい硝子板だつた。模様が刻まれた面は雨や埃の影響を考へての事だろう、必ず内側に向けてある。その模様が織りなす触った時のあの懐かしい感触は、何十年振りだつただろうか。
こども心になんとも不可思議な模様だと思つてゐたものだが、それから大分経つてサッシ(サッシュ)の時代となり、厳冬の頃に窓に着いた水滴が凍つた時の模様に似ている事を思ひ出した。


こどもの頃、家には台所と隣の居間を仕切るこんな引き戸が一枚だけあつた。
形あるものとは壊れる運命にあるもので、僕は毎年決まつたようにどつかのパーツを割つてしまってゐた。硝子屋の職人もゐろゐろと苦慮してくれたのだろうが、全く同じ図柄の硝子がなかつたらしく、何年かすると画してパッチワークのような引き戸となつてをり、その頃からは割つてもさほど叱られる事もなくなつてゐたのだつた。
  

1106011

< 旧 長谷川家 Ⅰ >
山形県山形市

  


先月読んだ"innei_raisann"の中で、Tanizaki氏の記述は日本建築の厠にまで及んでゐたのだが、この硝子を見かけたのがそれこそ、旧家の厠だつたのである。

昔風の、うすぐらい、そうしてしかも掃除の行きとどいた厠へ案内される舞いに、つくづく日本建築の有難みを感じる。茶の間もいいにはいいけれども、日本の厠は実に精神が休まるように出来ている・・・・・・・・・
まことに厠は虫の音によく、鳥の声によく、月夜にもまたふさわしく、四季おりおりの物のあわれを味わうのに最も適した場所であって、恐らく古来の俳人は此処から無数の題材を得ているであろう・・・・・・・
総てのものを詩化してしまう我々の祖先は住宅の中で何処よりも不潔であるべき場所を、却って雅致ある場所に変え、花鳥風月とむすびつけて、なつかしい連想への中へ包むようにした。


昭和8年に記されたこのよやうな薄暗い厠は今ではその場所すら、探しのは容易ではなゐだろう。
  
1106012

< 旧 長谷川家 Ⅱ >

 
 
今この建物は一般に公開してゐるのでそのやうな薄暗さはないが、人が途切れた隙にここの電気を消してみる。すると内側の電球の反射が消えて、今度は外からの光が木の額縁に入ったタペストリーのようにガラスの紋様を浮かび上がらせたのをいまでも良く覚えてゐる。

これらの絵は昨年の夏に切り取つたものだ。その後も何度か目にはいつてはゐたがいつもそんな程度で通り過ぎてゐた。ところが先日ある探し物をしてゐたら、ハタとこの絵で手が止つた。たぶんあの本との出会ひがなければ再びスルーしたであろうこの絵が、僕の中の記憶の海から引き揚げてきたのは、なんと蚊帳の匂ひだつた。
 

***

 
それは母方の実家で過ごした、子供の頃の永遠に続くようなあの長い夏休み。
今の子供たちはあまり喜びもしないだろうが、あの頃は西瓜を食べるのすらものすごい楽しみな事だつた。板の間で祖母の廻りに車座になり、皆ワクワクしながら包丁が入るのを待ったものだ。そしてほんの少しだけ刃先がはいると、”ビッ”と音がして西瓜が勝手に割れて歓声が上がり、そしてお腹いっぱいになるまで夢中で食べたものだった。
そういへばあの頃食べた青林檎。あれもその酸つぱさが夏の暑さ、入道雲を連想させるが随分前より見かけなくなつてしまつた。

そんな記憶の中でいまではめっきり縁遠くなった、蚊帳の匂ひを思ひ出してゐた。
’60年以前にお生まれのご諸兄には馴染みのあるあの緑色の蚊帳の匂ひ。縁取りが確か赤色か朱色だったような記憶があるが、僕の中で強烈に記憶に残ってゐるのはその色や形状よりもその匂ひなのだった。

蚊帳えの出入りのしかたも、伯父や伯母、祖母などからしつかりと指南を受けた。
ちょうど茶の間の隣に張られたこの特別な空間で、夜更かしが出来て大人達はいいなと思いながら、緑の霧がたちこめたように見へた明るい外界のテレビジョンのニュース、大人の背中を眺めながらいつしか眠りに落ちてゐた。

***

近いようで遠い記憶の頁である。
  
  
  
  
  
  
  

      

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