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2011年4月14日 (木)

カントリー・キッチン

       

記憶というものは実におもしろいものだと思う。
ある情景(物)に思わず出会った時に、以前それをどこかで見たことのあるシーンのように感じられるのだ。その場で遠い記憶の扉をあれこれ開けて、そこへ帰って行こうとするのだが、いつも辿りつけなくて終わってしまう。
   
学問的にはその時に感じる違和感のようなものを、「既視感(Déjà vu)」 と呼ぶらしい。
たいていの場合、それは現実に見たのではなく、夢だとか、子供の頃に読んだ物語の挿絵だとか、ずっと前に見た映画の場面だとか、現実の体験として記憶の片隅にひっそりと眠っている事が多かった気がする。

Remi

< 白い壁と二つのオブジェ >
新潟県新潟市

  
下のガラスの容器に羽と歯車のついた古い道具は、ドレッシングを混ぜるものだそうである。それを初めて見たときに記憶の奥底になにか引っかかるものがあって、それはなんだったのだろうと考えながらシャッターを押していたのだった。

それから随分と時間が経ち、その事自体忘れ去っていた時だった。FM-ラヂオから懐かしい曲が流れて来たのだった。それを聴いたとたんにいつかの古いキッチン道具のまわりにボンヤリと漂っていた、記憶の意味が繋がったのだ。

それは僕が子供の頃に聴いていた Lemon-Tree と言うアメリカの古いフォークソングだった。その曲を聴きながら(実は歌えたのであるが)いつも心に思い浮かんでいた情景があった。
それは実際に見たわけではない、たぶん何かの写真からかはわからないけれど、昔のアメリカの、まさにcountryと呼ぶにふさわしいような片田舎の古びた1軒屋だった。窓の外にはたわわな実をつけた檸檬の木、白いペンキ塗りのテーブルがあるキッチンだった。その上には古い道具がいろいろと置いてあったような記憶があるのだった。
   
既(視)感というだけあって、その光景は目からの景色(物)なのだが、それに繋がる記憶の根底にあるものは映像だけとは限らず、例えば匂いだったり、温度だったり、曲(旋律)だったりするもののようである。

Stir

< 古いキッチン道具 > 

  
Lemon-Tree と言う曲は1961年に結成したピーター、ポール&マリー(P・P・M)の曲の中で一番好きな曲だ。以前の記事にも書いたが、父親の記憶が途中で途切れている僕にとっては、その歌いだしの歌詞に一種の憧れみたいなものを抱いていたものだった。
それを何度も何度も聴き込むうちに、今思えばかなりあぶなかしい発音だったがなんとか歌えるようになっていた。歌詞にあるように10歳の頃の父親との会話に、叶わない想いを馳せていた頃の事だった。

*** 

一昨年の秋だっただろうか、マリー・トラヴァースが72歳で亡くなった事をWebで知った。
  

 Lemon-Tree

When I was just a lad of ten
My father said to me
Come here and take a lesson
From the lovely lemon tree・・・・
   
  
< Lemon-Tree > を聴きながら

   
   

     

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