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2011年3月 8日 (火)

ワード (言葉) or トーク (会話)

   

最近、言葉について考える機会があった。

ことばは、もろはの刃。いままで人のことばで何度励まされ、勇気をもらっただろう。
そしていままで何人の人を、僕の口から放ったことばで傷つけてしまったのだろう。

言葉というものは、どれほど信頼できることなのだろうか・・・
そんな事をボンヤリと考えていた矢先、ある海外発行の経済記事がそんな心のストライクゾーンに、いきなりフォークボールを投げつけてきた。

それは心理学上、実際に相手の顔を見ながらの会話に比べ、言葉のみ(メールやTEL)では真意の30%しか伝わっていないと言う記事だった。でも、その解釈にはいろいろあって言葉を信じないよりは、言葉の 『完全性』 を信じないという意見が最も多かった。 僕もその通りだと思う。

要するに真意を確実に伝える必要のない話(事実のみの伝達)であれば、すべて電話・メールで事済むことなのだ。
これは内容によって電話・メールで済む話か、直接会って話(対話)をしなければならないケースかと判断する基準でもある。

ことば・・・
それがたとえビジネスの目的だったとしても、日本独特の煩雑な敬語、謙譲語、曖昧語や余計な四季の挨拶語などの裏に隠されてしまって、本来のメール(言葉)の真意の半分は失われているように思う。ましてや、ビジネス以外の目的ならばなおさらの事である。
   Gossip

< ゴシップ >
   
   

そんな事を想いつつ、心の暗い部分から水中の気泡のように浮かんできたのは、いままで僕自身の中で消し去って(葬って)しまったことば達のことだった。

その数はたぶんKeyで打ち込んだ言葉よりも、語ったことばよりも、もっともっと多くのことば達だった。
それらは誰の心にもある、心の暗闇に無理やり押し込んでしまったことばや、唇の中に閉じ込めてしまったことばだったり。
或いは back_space_key で消した言葉だったり、耐えて語らなかったことばも幾つかあった。


そんな葬り去ったことばと比べてみると、全てが真実ではないが今まで自分が何気に語ってきた言葉のなんと軽い事だろう。

      



<人と時と風の中へ>を聴きながら


   

言えない事
   
今までで、一番いいたかったことは、
言えなかったことかもしれない。
今までで、一番忘れられない言葉は、
言えなかった言葉かも知れない。

時間はすべての記憶を薄いガーゼで包むように、
その輪郭をやわらげてくれるけれど、
記憶そのものを消し去る事はできない。
 
   
言えないことは、後悔なのだろうか。
言えなかったことは、
言わなかったこと・・・ではないだろうか。

<quotitaon S.E.N.S. poem>

     

    

   

 

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