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2011年3月15日 (火)

祈 り

 

2011年3月11日 
震度5強の長く激しい横揺れ。

電話とネットは一時的に不通となったが、電気や水道などの重要なライフラインは幸運にも途切れた訳ではなかった。初期微動での縦揺れもほとんど感じなかったので、だいぶ震源は遠いけど大きな地震だった、というのが最初の印象だった。

仕事場にはあいにくテレビがない。
ラヂオをつけてみるといつもの仙台Date-FMだった。アナウンサーが『先程非常に大きな地震がありました・・・』と言った直後に放送自体が途切れてしまった。嫌な予感がした。
たぶん2日程前にも宮城沖でけっこう大きな地震があったので同じ区域の震源だろうと思い、ずいぶん大きな余震が続くと気になりながらも仕事を続けざるおえなかった。
夕方に会った人は、太平洋側がすごいことになっていると教えてくれた。でも想像がつかない・・・・

  
その日、ようやくテレビの映像を目にしたのは午後8時過ぎの事だった。
  
Prayer

<  祈 り  >

    
   
僕の目に飛び込んできたのはラヂオではまったくイメージ出来ていなかった、想像を絶する惨状だった。
仙台市若林区。
そこは以前僕が住んでいた区であり、車で10分程のところであるが、仙台野菜のハウスが広がる見慣れた風景の場所だった。
今でもまるで悪夢のように記憶の断片に残るのはヘリコプターが津波の状況を中継していた映像だった。あらゆる物を飲み込みながら津波が進む先には、道路があり、そこにだけ動くものがあった。それはいまだそこを車が走っている光景だった。

まさか・・・の思いが的中した。
  
津波は現実に人の乗っている車をなんの躊躇もなく、まるでミニカーを並べてそれにバケツで泥水をぶちまけたように消し去ってしまったのだ。

ショックだった。
まるで映画の中での出来事のようにも思えた。
しかし、これは現実なのだ。
たったここから直線距離で70Km程しか離れていない場所で、今日起きた出来事なのだ。
このシーンは2回目の放送からは局の配慮でカットされていた。
この光景を目にしたヘリのパイロットとカメラマンはきっと、僕と同じ眠れぬ長い夜を過ごしたことだろう。
 
 
魚介類が好きな僕は釜石、陸前高田、気仙沼、女川、塩釜などをよく訪れた。
そして、美味しい海の幸で満腹した後は見知らぬ路地を散策するのが好きだった。
なかでも陸前高田市は細長い街で、特に海岸の大きな松が美しかったのが印象深い。
しかし、それらも全て跡形もなくのみこまれてしまった・・・

ニュースを見聞きするたびに百人単位で犠牲者・不明者が増えてゆく。
 
今はただ犠牲者に瞑目し、不明者の無事を祈るばかりである。


   
   

    

  *** 失われた2つのデッキ ***    
   
  
下の絵は僕の好きな場所の一つで、300メートル程も続く
広々としたこのウッドデッキの歩き心地が大好きだった。
今年2月上旬に何気なく撮ったものだったが、ひと月後のあの夜
ここが津波にのみ込まれるのをテレビで目撃することとなってしまった。
  Wooden_deck< 小名浜第2埠頭 >
福島県小名浜市
  
      
   
またこの絵は仙台駅前のペデストリアンデッキと呼ばれる通路である。
これも昨年12月に偶然に切り取っていた絵だった。
仙台(駅)の象徴と言える建造物で、ここから眺めるSS-30ビルの景色が好きだった。
ここも崩落の危険性があるとかで封鎖された。

Photo

< ペデストリアンデッキ >
宮城県仙台市

     

    

     

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