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2011年1月 4日 (火)

Time feeling for one year (一年の時間的感覚)

Time feeling for one month (ひと月の時間的感覚) 
                                      これは一昨年の月末にアップした記事である。

あれから約2年という年月が過ぎ、当たり前であるが2歳ほど齢をとってしまった。あの時はたった『ひと月』の時間の流れが異様に速いと思っただけの事であったが、この妄想的被害感はここのところ『年』のレベルにまでに拡大したような感がいがめない。
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< 初詣 >
新潟県新潟市
   
  

新年(お正月)を迎えて普通は今年の決意なり、希望なりを自分の胸に刻みつけて志を新たにするのであろうが、一昨年あたりから実を言うとそれは僕の中で半分、いや1/3しか占めてはいない。残りは昨年の反省である。自分の何が悪いとか、何が悪かったとかではなく、目標をいくつ達成できたでもない。いつも考えるのは、一昨年続けようと思った事をいくつ維持出来ているかと、いくつ新しい物事を始める事が出来たかで、あとは少しばかりの実反省で構成されている。

時間が過ぎるのがものすごく早く感じると言いながらも現在、正月と言う時間の中にいる僕にとっては、年末までの時間はとてつもない未来のように感じる。だから今年(中)の目標と思っても詳細についてはピンと来ないのが実感だ。
大まかにザックリと(デッサン程度)に考えて、月々の状況変化をみながら上方なり下方なりの修正を加えていくのが気楽で、スタイルに合っていると思っている。

初詣。
神仏分離の考え方から言えばだなぁ~と仰せられる諸兄もおいでになると思うが、目くじらを立てずにクリスマスやハロウィン、はたまた
ボジョレーパーティーやバレンタインも楽しくこなす日本人の国民性という事でいいのではないだろうか。
さて、初詣に何を願う(お祈り)かと言うと、大義名分の中に荒唐無稽な、決してここで文字には出来ない大人気ないことが含まれていたりする。それを聞いてしまった神様も気の毒ではあるが、失笑するのかもしれない。

僕の好きなシンガーソングライターが以前のコラムの中にこう書いていた。
『流れ星に願い事をするなんてとても出来ないから、僕はそれを見たらほほ笑む事にしている』んだと・・・・・
まさにその通りなのだと思う。
人々の願いの原点は泣き顔なんかではなく、必ず誰かのほほ笑みなのだから。

心を空にして二拝二拍手一拝。
そのあとかしらを神殿に向けてほほ笑んだ後、新潟大学にほど近いこの神社を後にした。
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< 大吉の縁結び >
新潟県新潟市

     

     

   

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