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2011年1月23日 (日)

大寒が過ぎた頃

    
    
3~4年振りだろうか、大寒の頃になってようやくこの土地の冬らしい風景が見られるようになった。
市内は久しぶりである平年並みの降雪で、悲喜こもごものようだ。
ただ、今までの少雪で気がついたことは、所詮ここは雪国。冬のあいだそれを生業とする人も多く、雪自体が冬の生活の歯車に噛み合っている以上、ある一定量の雪が降らないと、この土地の経済自体が立ち行かないと言うことだった。
そう言えば、風が吹けば桶屋が儲かる、とは実にうまい物事の例えである。
  River_2

< 冬の原風景 >
山形県米沢市

数年前、とてつもない大雪が降った事がある。累計降雪量(日々降り積もる雪を単純に足し算をしていったもの)が10mを優に超えた年があった。無論これよりもすごい数字は沢山あるだろうが、雪国の人でなければそれこそ想像を絶するデータだと思う。ここ最近のラク(降雪量が極端に少ない)な冬に慣れてしまった僕にとって、昨年夏の異常な雨のニュースは衝撃だった。たった数時間で家が流され、尊い命が失われれゆく雨の恐怖。なぜならば雨は待ったなしでの対応を迫られるのだから。

それに比べたら雪のなんと穏やかなことだろう。晴れ間を見ながら少しずつ片づければ良いし、自分の生活に危害が及ばなければ(人目は別だが)「融けない雪は降ったためしがない」とタカをくくって春を待ってもそれまでなのである。要は除雪(ゆきはね)をするか、踏み固めて通路にしてしまうかの選択ではあるのだが。

Bridge_2

<大寒の朝、つかの間の日差し>
山形県米沢市

夏と冬とでどちらが好きかと訊かれると、冬だと即座に答える。
確かに外出や雪かきの厄介があるが、気温の面ではやはり夏以外のものに軍配を挙げてしまう。つまり真夏以外はOKだと思っている。
極論を言えば、寒ければ着込めばいいことなのだ。
暑いときには裸になれても、その先の皮膚を脱ぐ訳にはいかないのだから。暑さの中に長時間曝されると気力と思考力が停止してしまう僕は、たぶん暑さの中であえぐイヌのような体質なのだろう。


降雪の候、やにわに雪が連れてきてくれる『静寂』と『明るさ』が好きだ。

街の喧騒が消え、耳鳴りにも似たしんとした静寂が訪れる。
ずっと昔に聞いたストーブのやかんのお湯が沸騰する音だけが強調された、静かな夜の記憶が甦ったりもする。
ロールカーテンの隙間からほのかに雪あかりが漏れるのもいい。
秋の夜長から、その隙間は漆黒の闇のテリトリーだったが、いまは雪あかりの世界である。それが再び漆黒の闇に入れ替わってくれば、待ち望んでいた春の訪れなのだ。

何年か前、この大寒の時期に冬の『海に降る雪』をしばらく眺めていた事があった。

あたりまえの事であるが、その雪は降り積もる事ができない定めを持って落ちてきた雪なのである。だから積もる事の叶わない哀しさと、一瞬の眩さ(まばゆさ)を残し、暗い水面(みなも)に消えてゆくはかなさをもっているのだろう。
水面の一点を凝視していると、自分が上に昇って行っているような奇妙な錯覚を覚える光景だった。

   

   

    

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