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2011年1月の記事

2011年1月30日 (日)

親指と対話するカップ

 

このCupとの出逢いは実のところ、以前掲載した『一羽の蝶』と逢った直後の事だった。

時期的に言えば昨年の11月も終わろうとしていた頃だったように思う。その既にUP用の絵は出来上がっていたのだが、なぜW.WのCupと前後したかと言えばその絵本を再び作り直したいと言う想いがあったからに他ならなかった。

Blue_mountain_01

< Favolit Cup vol.4 >
山形県米沢市

このCupの印象。

透明感のある美しい白に、持った時に感じる親指の心地よさ。
それとあまり見たことがないフチのラインだった。
これを初めて見た時から、山があり谷がありそして時々尖(とが)るその独特のラインは遠い昔、蒼くて尖っていた頃と重なるような気がしてならなかった。そんな想いが絵自体を撮り直して、この絵本を再び紡ぎなおすという作業に駆り立てていたのかも知れない。


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さて中身はと思いあぐねていると、マスターが期間限定のブルーマウンテン No1を薦めてくれた。いくら珈琲に疎い僕でも、いつも珈琲豆売り場では別格扱いされている、世界一の豆とか言われている事くらいは知っていた。彼は特徴のある豆が好きな人には少し物足りないかも知れないと、ドリッパーにお湯をそそぎながら説明してくれる。

一口含むと以外にくせがなく、軽やかな甘みのような感覚を残して喉の奥に消えてゆく。いつもブラックで飲んでいるが、甘みのような感覚(後味)を感じたのはこれ初めてのような気がする。飲み込んだ後に鼻から抜けてゆく香の高さも、No.1のスタンダードを確立したこの豆が持ち合わせる独特のテイストなのだろう。

Blue_mountain_02

右手の親指がCupとの会話に夢中な頃。
視線はふちの尖ったラインをトレースしながら、左手はと言えば勝手に思い出のアルバムをめくっていた。


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そこには長髪のパーマネントに学ランの腕をまくりあげて派手な裏地を露出させ、ペシャンコに潰した学生鞄を小脇に抱えて歩いている僕がいた。もちろんズボンはボンタンと言いたいが、ストレートだった。憧れなかった訳ではないが、すぐ上の先輩達はみな硬派だったから結局はけなかった。最近の僕しか知らないご諸兄方は、その風体を見たらきっと大笑いすることだろう。

同じクラスにセンターベンツの中ラン、少し短めのボンタン姿をしたHと言うヤツがいた。彼とは誕生日が同じで妙に気が合った。いつも酒を飲んだり麻雀、パチンコで遊んだものだった。少し日本人離れした彫の深い顔立ちに、鋭い目つきとパンチパーマ。そのいでたちはそこに居るだけで強烈に周囲を威圧するものがあった。 口を開くまでは・・・
彼のトークと声は初めて聞いた人間は、ドリフターズのようにこける程、優しいものだった。(彼の名誉の為に記しておくが、パンチパーマはナチュラルであり、校則には触れていない。ただし100%ナチュラルかは知るよしもなかった。実は僕も40%程はナチュラルだったが、残りは濡れると直毛になるという、巧妙に仕組まれたパーマネントだった)


あの頃尖っていた分、怖いものなどなかったような気がする、目の前には洋々とした時間もあった。若気の至りの真意を半分知りながら、そして残りの半分を隠れ蓑代わり(言い訳)にして随分と無茶な事をやっていたときだった。

青春時代が夢なんて、あとからほのぼの想うもの、セイシュン時代の真ん中は・・・

    フト昔の歌詞が浮かんだ。

(続)

 

 

 

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2011年1月23日 (日)

大寒が過ぎた頃

    
    
3~4年振りだろうか、大寒の頃になってようやくこの土地の冬らしい風景が見られるようになった。
市内は久しぶりである平年並みの降雪で、悲喜こもごものようだ。
ただ、今までの少雪で気がついたことは、所詮ここは雪国。冬のあいだそれを生業とする人も多く、雪自体が冬の生活の歯車に噛み合っている以上、ある一定量の雪が降らないと、この土地の経済自体が立ち行かないと言うことだった。
そう言えば、風が吹けば桶屋が儲かる、とは実にうまい物事の例えである。
  River_2

< 冬の原風景 >
山形県米沢市

数年前、とてつもない大雪が降った事がある。累計降雪量(日々降り積もる雪を単純に足し算をしていったもの)が10mを優に超えた年があった。無論これよりもすごい数字は沢山あるだろうが、雪国の人でなければそれこそ想像を絶するデータだと思う。ここ最近のラク(降雪量が極端に少ない)な冬に慣れてしまった僕にとって、昨年夏の異常な雨のニュースは衝撃だった。たった数時間で家が流され、尊い命が失われれゆく雨の恐怖。なぜならば雨は待ったなしでの対応を迫られるのだから。

それに比べたら雪のなんと穏やかなことだろう。晴れ間を見ながら少しずつ片づければ良いし、自分の生活に危害が及ばなければ(人目は別だが)「融けない雪は降ったためしがない」とタカをくくって春を待ってもそれまでなのである。要は除雪(ゆきはね)をするか、踏み固めて通路にしてしまうかの選択ではあるのだが。

Bridge_2

<大寒の朝、つかの間の日差し>
山形県米沢市

夏と冬とでどちらが好きかと訊かれると、冬だと即座に答える。
確かに外出や雪かきの厄介があるが、気温の面ではやはり夏以外のものに軍配を挙げてしまう。つまり真夏以外はOKだと思っている。
極論を言えば、寒ければ着込めばいいことなのだ。
暑いときには裸になれても、その先の皮膚を脱ぐ訳にはいかないのだから。暑さの中に長時間曝されると気力と思考力が停止してしまう僕は、たぶん暑さの中であえぐイヌのような体質なのだろう。


降雪の候、やにわに雪が連れてきてくれる『静寂』と『明るさ』が好きだ。

街の喧騒が消え、耳鳴りにも似たしんとした静寂が訪れる。
ずっと昔に聞いたストーブのやかんのお湯が沸騰する音だけが強調された、静かな夜の記憶が甦ったりもする。
ロールカーテンの隙間からほのかに雪あかりが漏れるのもいい。
秋の夜長から、その隙間は漆黒の闇のテリトリーだったが、いまは雪あかりの世界である。それが再び漆黒の闇に入れ替わってくれば、待ち望んでいた春の訪れなのだ。

何年か前、この大寒の時期に冬の『海に降る雪』をしばらく眺めていた事があった。

あたりまえの事であるが、その雪は降り積もる事ができない定めを持って落ちてきた雪なのである。だから積もる事の叶わない哀しさと、一瞬の眩さ(まばゆさ)を残し、暗い水面(みなも)に消えてゆくはかなさをもっているのだろう。
水面の一点を凝視していると、自分が上に昇って行っているような奇妙な錯覚を覚える光景だった。

   

   

    

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2011年1月17日 (月)

失われてゆく選択肢

    

午後3時を廻ったあたり・・・・・

自分の一生を一日の時間に換算してしまえば、今頃はきっとこのような時間帯なのだろう。
この時間までさまざまな選択をして生きてきた。
  Dead_end

<  階 段  >
宮城県仙台市

  

いま思えば自分の人生を変えるような大きな選択肢はいままで三度、いや二度ほどしかなかったような気がする。

それ以外のさほど大切ではない分かれ道は数多くあったのだが、僕の中での純粋な二者択一と言えるものなど存在したのだろうか。
左の路または右の路かとの同等な選択肢があるのはまだ幸せなほうで、最後に残った一つの路に関して、行くのか・やめるのか、いわゆる・真か偽(true or false)の判断のほうがはるかに多かったように想える。

以前(ずっと昔)僕は仕事でプログラマというデジタルの世界に身を置いていたことがあった。今思うとそれは自分にとっては実にお気楽な世界で、簡単に言うと物事(計算)の結果に対して(真・偽)または(ゼロか1)を単純に、しかし明確に振り分けていくような作業だった。それこそあいだになんの感情も挟まないONかOFFだけの世界であり、そいつがいつしか自分自身の日常選択基準となっていっていた。

だからであろうか、その頃社会人として由々しき事だが、ひどく人嫌いに陥ったのを思い出す。CPUは文法上のバグさえない限り僕の書いたコードの通りに忠実に仕事をこなす。当たり前なのだが、まさに石頭で人間臭さの微塵もない世界であり、それをコントロールするのはラクだった。それが日常の人との付き合い(繋がり)となると、そこにある人間臭さ(たぶんヒトの感情)がわずらわしく思えたものだった。

式で表せるものはすべてコードで記述できる、と豪語していた蒼い頃である。
ヒトの感情を式で表す事などできないのを薄々感じながらも・・・

僕の選択肢においてその中間の neither と言うケース(case:)を使うようになったのは午後4時の少し前あたりのような気がする。周囲からは「なんだか最近変わったネ」と冷やかされもした。

それはただ、幸いにも自分の中での選択肢がひとつ増えただけの事で、そこに至るまでのロジック(基準)はあまりかわっていないのが実情だろう。少し長く生きてくると否が応でも他人のさまざまな選択の結果を見聞きする機会が多い。そのたびにロジック部分へ鎧なり兜なりをまたかぶせてしまう。

Silent_space

< 静寂の空間 >
宮城県松島町

ふと、村上春樹の『1Q84』。そのイントロダクションを思い出していた。

「こうであったかもしれない」 過去がその暗い鏡に浮かび上がらせるのは

「そうではなかったかもしれない」 現在の姿だ。
   

   

   

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2011年1月10日 (月)

Reunion (再会) 

 

水面下に浮かぶこの白いドレスの女性。
   
単なる時空的な言い方をすれば約四十年近くのあいだ、ただイメージと言うフォーマット形式で、記憶の片隅に眠り続けていた人だった。
               
Weeki_wachee_spring
   
つい最近の事である。
とあるブログを訪ねた時に偶然、この絵との再会を果たしたのだった。
その筆者もなんらかの糸でこの絵と繋がっていたらしく、『あっ』と声を出してしまったと記されていた。

僕の場合もそこでいきなり時間がとまり、この絵と初めて出会ったあの時の記憶の中に押し流されてしまっていた。

そこは薄暗い半地下の(義)従兄自慢のリスニングルームだった。
部屋の半分程に石垣が露出しており、今思えば奇妙な部屋だった。西側には外に通じるガラス入りのドアがあって、そこから適度な西日が差し込みそこの陰湿なムードを少し緩和してくれていた。
そこには当時としては最先端のプレーヤーやアンプ・スピーカなどが設えられていた。そこでチェスや軍人将棋の指南をうけていた時に、流れていたレコードアルバムのジャケットがこの絵だった。

ジャケットに印刷されていたアーティスト名などはその頃読める訳もなく、ずっと記憶の片隅にインパクトを持ったイメージとして、こびりついていた女性だった。幸いにも筆者がこの絵に関する詳細な記事を記述していてくれたので、アルバムのアーティスト名や撮影したカメラマンなどの詳細を知る事ができた。感謝の限りである。

撮影したのはトミー・フリッセル(1907-1988)と言う女性カメラマンで、この絵の公開は1947年。
Tomi_Frissell (ここでは3,500×3,500の高解像度の原絵と対面できる)

これを初めて見たときの正直、ギョっとした当時の印象の断片に長い年月を経ての再会を果たし、加筆しておくべき事柄がある。

それは春のウィーキ・ワチーの、とある春のゆるい流れに浮きつ沈みつ流れてゆくこの白いドレスの女性の象徴的な情景は、えもいえぬ妖艶な美しさを放ちながら、そしてもっと見つめていると人間の心の奥底に流れている『生と死』のような意識のところまで流れ着いてゆく自分なりの印象である。
(もともとこの絵はファッション雑誌の女性ファッションの広告として載せられたものらしいことを知った)

さて、このアルバムはBILL EVANCE と JIM HALL によるそれぞれピアノとギターの二重奏で UNDER CURRENT と言うアルバムだという事が記されていた。
しかし、日本語に訳せばさしずめ(Annryuu)と言う作者の春と言うイメージとはひどく似つかわしくないものとなっている。

 

 

このジャケットの絵と二人の対話をしているような演奏は、出逢うべくして逢ったようにマッチしていた。

 

 

 

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2011年1月 4日 (火)

Time feeling for one year (一年の時間的感覚)

Time feeling for one month (ひと月の時間的感覚) 
                                      これは一昨年の月末にアップした記事である。

あれから約2年という年月が過ぎ、当たり前であるが2歳ほど齢をとってしまった。あの時はたった『ひと月』の時間の流れが異様に速いと思っただけの事であったが、この妄想的被害感はここのところ『年』のレベルにまでに拡大したような感がいがめない。
   11_01_02_01_2

< 初詣 >
新潟県新潟市
   
  

新年(お正月)を迎えて普通は今年の決意なり、希望なりを自分の胸に刻みつけて志を新たにするのであろうが、一昨年あたりから実を言うとそれは僕の中で半分、いや1/3しか占めてはいない。残りは昨年の反省である。自分の何が悪いとか、何が悪かったとかではなく、目標をいくつ達成できたでもない。いつも考えるのは、一昨年続けようと思った事をいくつ維持出来ているかと、いくつ新しい物事を始める事が出来たかで、あとは少しばかりの実反省で構成されている。

時間が過ぎるのがものすごく早く感じると言いながらも現在、正月と言う時間の中にいる僕にとっては、年末までの時間はとてつもない未来のように感じる。だから今年(中)の目標と思っても詳細についてはピンと来ないのが実感だ。
大まかにザックリと(デッサン程度)に考えて、月々の状況変化をみながら上方なり下方なりの修正を加えていくのが気楽で、スタイルに合っていると思っている。

初詣。
神仏分離の考え方から言えばだなぁ~と仰せられる諸兄もおいでになると思うが、目くじらを立てずにクリスマスやハロウィン、はたまた
ボジョレーパーティーやバレンタインも楽しくこなす日本人の国民性という事でいいのではないだろうか。
さて、初詣に何を願う(お祈り)かと言うと、大義名分の中に荒唐無稽な、決してここで文字には出来ない大人気ないことが含まれていたりする。それを聞いてしまった神様も気の毒ではあるが、失笑するのかもしれない。

僕の好きなシンガーソングライターが以前のコラムの中にこう書いていた。
『流れ星に願い事をするなんてとても出来ないから、僕はそれを見たらほほ笑む事にしている』んだと・・・・・
まさにその通りなのだと思う。
人々の願いの原点は泣き顔なんかではなく、必ず誰かのほほ笑みなのだから。

心を空にして二拝二拍手一拝。
そのあとかしらを神殿に向けてほほ笑んだ後、新潟大学にほど近いこの神社を後にした。
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< 大吉の縁結び >
新潟県新潟市

     

     

   

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2011年1月 2日 (日)

豆を選ぶカップ

前回その存在だけを匂わせて、おわったカップ。     これでもう3つ目になる。
Ww0201

< Favolit Cup vol.3 >
山形県米沢市

これをデザインした人は、だれでも思いつきそうだが、誰もやらなかった(出来なかった)ことをやってのけたようだと思った。二つを並べてみるとつくづくそんな思いが心を巡る。ただのプリントではないこの図柄を、内側にデザインするという技術的な難易度については、知るすべもないが、この2客を並べた時の細工の美しさはやはりペアで楽しむべきもののように思えて仕方がない。

今回はこのカップのために、浅煎りタイプのドミニカ・アロヨボニートをチョイスしてみる。
浅煎りだけにこの豆の水色は濃いめに淹れた紅茶に近い印象を受けた。縁の方に少しだけ日の光を当ててみる。

不透明度を少しずつ増してゆく浅煎り独特の水色グラデーションの中に、淡く溶け込んでいく文様がまた美しい。これはやはり自身が浅煎りの豆を選ぶDNAを職人の手によって組み込まれた器なのだろう。

コーヒーを飲みすすめるにつれて、少しずつ現れてくる図柄との対面は初めてこのカップを使う人の愉しみなのかもしれない。

Ww0202_2
(続)

       

    

    

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