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2011年1月17日 (月)

失われてゆく選択肢

    

午後3時を廻ったあたり・・・・・

自分の一生を一日の時間に換算してしまえば、今頃はきっとこのような時間帯なのだろう。
この時間までさまざまな選択をして生きてきた。
  Dead_end

<  階 段  >
宮城県仙台市

  

いま思えば自分の人生を変えるような大きな選択肢はいままで三度、いや二度ほどしかなかったような気がする。

それ以外のさほど大切ではない分かれ道は数多くあったのだが、僕の中での純粋な二者択一と言えるものなど存在したのだろうか。
左の路または右の路かとの同等な選択肢があるのはまだ幸せなほうで、最後に残った一つの路に関して、行くのか・やめるのか、いわゆる・真か偽(true or false)の判断のほうがはるかに多かったように想える。

以前(ずっと昔)僕は仕事でプログラマというデジタルの世界に身を置いていたことがあった。今思うとそれは自分にとっては実にお気楽な世界で、簡単に言うと物事(計算)の結果に対して(真・偽)または(ゼロか1)を単純に、しかし明確に振り分けていくような作業だった。それこそあいだになんの感情も挟まないONかOFFだけの世界であり、そいつがいつしか自分自身の日常選択基準となっていっていた。

だからであろうか、その頃社会人として由々しき事だが、ひどく人嫌いに陥ったのを思い出す。CPUは文法上のバグさえない限り僕の書いたコードの通りに忠実に仕事をこなす。当たり前なのだが、まさに石頭で人間臭さの微塵もない世界であり、それをコントロールするのはラクだった。それが日常の人との付き合い(繋がり)となると、そこにある人間臭さ(たぶんヒトの感情)がわずらわしく思えたものだった。

式で表せるものはすべてコードで記述できる、と豪語していた蒼い頃である。
ヒトの感情を式で表す事などできないのを薄々感じながらも・・・

僕の選択肢においてその中間の neither と言うケース(case:)を使うようになったのは午後4時の少し前あたりのような気がする。周囲からは「なんだか最近変わったネ」と冷やかされもした。

それはただ、幸いにも自分の中での選択肢がひとつ増えただけの事で、そこに至るまでのロジック(基準)はあまりかわっていないのが実情だろう。少し長く生きてくると否が応でも他人のさまざまな選択の結果を見聞きする機会が多い。そのたびにロジック部分へ鎧なり兜なりをまたかぶせてしまう。

Silent_space

< 静寂の空間 >
宮城県松島町

ふと、村上春樹の『1Q84』。そのイントロダクションを思い出していた。

「こうであったかもしれない」 過去がその暗い鏡に浮かび上がらせるのは

「そうではなかったかもしれない」 現在の姿だ。
   

   

   

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