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2010年11月の記事

2010年11月28日 (日)

ひとりは漱石、ひとりは英世

  
その出来事は二つのある偶然が重なっただけの出来事だった。だが僕の記憶の中では『アーカイブス』という特別な領域に格納されてしまうような出来ごとだった。

Angel_3

<  少女への懺悔 >
福島県福島市

小春日和に誘われて出かけた日曜日の美術館。
館のエントランスの右手には奥にCaféと大きな池がある。日差しが実に心地良く池に突き出た出島のようなところに座り景色を眺めていた。立ち上がろうとしてフト足元をみると阡円札が、それも四つ折りの裸で落ちていた。いわゆるおひとり様だったのでフォローしてくれる人もなく、さりとてCaféからの人目もあり、それを拾うかどうかを決めるのに3秒ほどの時間を要した。

財布自体、いやもっと大きな金額だったら別であるが、拾う前からそれを届ける気はなかった。裸の札を一枚届けられた方も迷惑だろうし、僕自身それで時間を費やすのも嫌だった。まぁ、赤い羽根募金に阡円札を入れるのもカッコいいかな?
ぐらいで軽く考えていた。

次の偶然は美術館のロビーで起きた。
そこは柱と高い窓が美しく、デジカメで何枚かの絵を切りとっている時だった。小学生低学年と思しき女の子が、『これ、落としましたよ』と阡円札を僕に差しだした。一瞬戸惑ったがやっぱりまたかと思った。拾った札を入れたのは上着の右ポケット、先程から何度もデジカメを出し入れしているのも、やはり右ポケットなのだ。上着のポケットへ直に札を入れる習慣がなくなったのも、いままで何度かその経験があったからだった。

右手がふさがっていたので、『ありがとう!』と気軽に彼女から左手でお札を受け取り左のポケットに入れた。それから2分後カメラをポケットに入れた時に右手に触れたのは、先程拾った四つ折りの阡円札だった。慌てて左ポケットを探るとそこにはさっきの二つ下りの別の阡円札が入っていた。

辺りを見廻したが、もうその子の姿はなく、なんとも表現しがたい複雑な気持ちだけが残った。なぜあの時面倒がらずに、右のポケットを確かめなかったのだろう。そうすれば親切なその子に『ありがとう、でもそれはおじさんのじゃないようだな』と言えたのだった。

1時間ほど前に拾った四つ折りの漱石、そして先程少女から渡された(受け取ってしまった)二つ折りの英世。それを左右のポケットの中で触れながらそらを見上げると、自分の心中とはうらはらな抜けるような冬の青空が広がっていた。

Angel_01

    

    

     

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2010年11月18日 (木)

一羽の蝶

   

そこには三つの偶然とひとつの (+) があった。

まずその日が平日であったこと。次にこの時期にしてはひどく寒い日だったこと。そして最後のひとつは、そこにそのCaféがあったことだ。カノジョとの出会いは月曜日のお昼前。青空に誘われてでかけたまでは良かったのだが、風の強さと冷たさにでたまらず飛び込んだCaféでの出来事だった。

店に入るなり『温かいコーヒーを』とオーダーすると、マスターはまずまず気もむな(急ぐな)と言うような表情で、水とメニューを笑いながら差しだした。そこにはずらっと並んだ豆の種類が。もうお任せである。程なくチョイスされたコロンビアを淹れている、彼の手が伸びたカップが最後の (+) なのだった。

そのCupの中でカノジョは美しい薄紫の花々の中を、優雅に舞っていた。

Favolit_cup_01

< Favolit Cup vol.1 >
山形県米沢市

コーヒーを堪能するタイミングと、カノジョに気づくタイミングが実際には少しズレていた。それは早く温かい飲み物を求める自分の欲求が勝っていたからだろう。やはりホッとすると辺りに目を向ける余裕が出てくるらしい。そのような訳でカップの中身はもう無いのである。
通常Caféで供されるCupは形は様々であろうが、概ね無地の白いものか、地味な焼き物風と言う既成概念みたいなものが自分の中にあったし、今までもその通りだった。しかしこの店の棚には美しいCupが幾つも並んでいた。これからの初めて味わう豆達とCupの組み合わせはどんな時間を与えてくれるのだろうか。

Indian_summer_2 
上の絵はインディアンサマーの昼下がり、心地よい日だまりの中で。
もうすぐ訪れる厳しい季節を前に太陽の匂いを記憶に留める時間。

(続)

   

   

   

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2010年11月 9日 (火)

半径1Km圏内 (誰にでもある原風景) Vol.1

   
  

R10000101

< Since 196? >
山形県米沢市

  
この風景との邂逅は、僕が偶然にこの場所に生まれた事だけなのかもしれない。

 

                   Natalie Cole & Nat King Cole            Unforgettableを聴きながら 

現在の住民票には住所を移転した痕跡がない。 
それは、家から351メートルはなれたこの風景を、半世紀近くもずっと眺めているということだ。この橋のたもとには自分の母校(中学校)があり、当時は今の校門のあたりにプールがあったりもした。むろん高校にもこの橋を渡って通学していた。

この川の流れを見ていると何故か心が落ち着く。子供の頃からよく遊んだ川辺だからであろうか、父が他界した幼少期の記憶が甦ったりもする。地理的には遠くに見える、少し丸みを帯びた女性的な山容の山並みが真南にあたる。二千メートル程の稜線だが登ってしまえば案外平坦で、縦走と言うよりは鼻歌交じりのハイキング気分で歩けてしまう連峰だ。そこから西の方への約90度程の間は低いが印象的な稜線が続く。

そらの色も、山頂から色が変わり始める秋の山肌、また麓から色が変わり始める春の山肌。夏至から冬至にかけて大きく変わる太陽が沈む位置などを見る事ができる。自分は季節には至極敏感な方なのだが、その季節感の約66%はこの風景が与えてくれているのかもしれない。残りの34%は空気の肌触りや匂いであったり、店先の並ぶ所謂旬の食べ物であったりする。

この風景も何かの用事で通りすがりの車からの眺めだったり、何かを感じたくて天気の良い日には5分ほどの散歩がてら、わざわざ見に行く事もよくある。そうだ、仕事の都合と天気次第で年に何回も見ることが叶わないショーがある。日没の少し前、ほんの10分程度の短い時間だが、ちょうど左手から照らす夕日が丸みのある山肌の凹凸に影をつくり、実に美しい影絵が目の前に広がるのだ。

この光景は今までも、そしてこれからも変わる事のない眺めだろう。それは手帳が変わっても無条件に引っ越しを許される、裏表紙のポケットに長い間挿まれていた古い写真のように。

    

    

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