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2009年7月の記事

2009年7月23日 (木)

自然(宇宙)の雄大な摂理

『荘厳さ』・『神々しさ』・『震えがくるような光景』・『人生観が変わる光景』
これは皆既日食やオーロラなどの雄大な自然現象、また宇宙から地球を見た人達の話に概ね共通して含まれる言葉のようだ。

昨日7月22日の皆既日食(米沢では部分)。
朝の予報でも『まず、ムリだろう』と言う諦めモードだったが、10時頃から青空が広がり始め真夏の太陽が顔を出してきた。先週末からの絶望的な週間予報にて日食グラスなど何も準備しておらず、仕方なく厚紙に小穴を開けてピンホールで三日月形の影を楽しんでいた。床に映った影がフッと翳り、「ン!!」とトップライト(それまで室内観戦だった)を見上げると、な・なんと雲が・・・・・

それも、太陽を完全に覆い隠す分厚い雲ではなく、眩しさだけを取り除いてくれる、『極上の天然日食グラス雲』であった。その偶然に感謝する間もなくすぐにデジカメをつかんで外に飛び出し、切り取った絵がこれだ。

Eclipse

   
パッと見、三日月のようでもあるが間違いなく太陽である。画像をよく見てみると太陽よりも月の方が一回り大きいのがわかる。これが皆既日食時の月の位置である。逆に月が一回り小さくなる位置だと太陽が縁だけ見える金環食となってしまう。

地球から手前の月までは約38万キロ、奥の太陽までは約1億5千万キロこの比率は約400倍

月の直径は約3千474キロ、太陽の直径は約139万2千キロこの比率も偶然に約400倍

この絶妙な自然(宇宙)の摂理がもたらす自然現象が皆既日食なのだと思う。しかも、皆既日食となるか、金環食となるかは月の微妙な公転周期と関わっているらしい。
この太陽と地球の位置関係が逆になるのが月食で『部分月食』ではあるが来年の元日未明に見ることが出来る。2010年1月1日の午前2時頃から同6時半ごろまで。来年の初詣は少し遅めに出発して、新年の月食を見ながら詣でるのも粋かも知れない。『皆既月食』はと言うと、同じく来年の12月21日午後4時過ぎから同8時ころまで、いずれも日本全国で見ることができるようである。

自然(宇宙)と人間の摂理も考えさせられた日であった。人類が英知を注げばもっと精密に日食や月食の計算できるかもしれない。でもそこから先は人類の手の届かない領域であることは忘れてはならないと思う。人間には知恵があり様々な問題を解決してきた実績もある。

2035年9月2日の皆既日食 (ちなみに当日は日曜日で時間は午前10時頃)

2035_09_02_2_2 

これはあくまでも現在の各要素の軌道からの計算値であり、仮に月なり地球なりの軌道を変えさせる小惑星や彗星等の接近等(又は衝突)は想定していない。

が・・・・・計算通り観測される事を願って止まないと共に
                  絶対にこの目で見てやろうと思った日であった。

 

 

 

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2009年7月 4日 (土)

親 と 子

    
最近一遍の詩と出会った。
それは ~親愛なる子供たちへ~ と言うサブタイトルの付いた『手紙』と言う詩だった。

Letter
[私の人生の終わりに少しだけ付き合って欲しい・・・]
と言う親としての切なる願いが込められたものだった。

アルコールと共に読んでいたら、不覚にも涙が零れてきてしまった。
人生とは・・・・ 介護とは・・・・・ 子への想い  親に対する思い
そして家族とは・・・・・・

また、自分の去り方までも深く考えさせられた文章だった。 3年程前に見た【男たちの大和】の映画で乗組員がこれより、自ら迎える結末について【死ニ方、用意!】と指差呼称していたシーンが浮かんできた。

自分の場合、よし! なのか ヨシ! なのか OK! なのか今は判らない。たぶん今はまだ  ちょっと、たんま! か Pause! 状態だろう。
まだ、まだ修行が足りませぬ・・・だ。

この曲について少しだけ補足しておくと。

<2年ほど前。一通のメールが、樋口了一の友人である角智織の元に届いた。
<それは、ポルトガル語で書かれた散文のような詩であった。
<角はその詠み人知らずの詩に感銘を受け、訳し、樋口に見せた。
<樋口は故郷に両親を、そして子を持つ父親として、圧倒的なリアリティを感じる。
<数日後、樋口は「あの詩を歌にしたい」との思いを角に伝え、言葉に導かれるままに
<曲をつけ歌にした。「この歌は、この言葉を必要としている人に、自ら歩いていくよう
<な曲」と樋口は言う。

http://www.kadokawa.co.jp/sp/200903-01/index.php

   

    

   

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