2019年2月13日 (水)

いっぴのてんじんさん

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それはまったくの偶然だった。
宿のエレベーターに貼ってあった一枚の手作りポスター。大阪、それも今回の目的地である『キタ』に位置しながら、それまで全く意識の中にはなかった場所のもの。神社のスナップ写真と道順を書いた手書きのイラスト。内容はあと一週間程で始まる梅まつりの事だった。きっと今頃は祭りの前の閑散とした境内に違いないと、勝手な思い込みから興味は他に逸れて行ってしまっていた。
  
僕の旅先での習慣と言えば早朝の宿付近を散策すること。
散歩というよりは、見知らぬ路地を彷徨うと表現した方がより合っているのかも知れない。けれど今回は相棒が同行していて、昨夜の宴のダメージを引きずりながら、結局は断念してしまっていた。朝メシ会場に向かいながら、昨日から何度か目にしていたはずのこのポスターが頓に気になってしまった。
理由は良くわからないけれど、まるでいつもの習慣へのいざないだとでも言うように。楽しみにしていた朝メシもそこそこに、一時間で戻ると相棒に告げ、歩いて10分程の神社に向かった。

 

宿と神社の位置関係からすれば、裏門から入るのが最短ルート。
初めての神社に裏門から入るか?、そんなことも心を過ったのだけど、あまり信仰心の厚くない僕は時間の方を優先させてしまった。本堂に向かう途中には幾つかの社がある。途中には書道作品も展示されてあり、数人の通勤や通学の人とすれ違った程度の静かな早朝の境内だった。

 

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本堂の前に着くと大勢の人が集まり、数人の神職と巫女で何かの神事が執り行われていた。時刻は8時をすこし回ったばかり。こんな早朝に?という疑問が湧いたが、集団で何かご祈祷を受けているのかとも思ってしまった。けれど良く見てみると集まっている人々は老若男女、服装も様々で関連性はなさそうだ。参列している人の中には時計を気にしながら途中で立ち去る人。
表正門から入ってきて、本殿前の神事を気に留める様子もなく、参拝だけすませて裏門へと通り抜けて行く人。
そんな人たちを見ていると、いま目の前で執り行われている神事が、一体何なのかますます分らなくなってゆく。



そんな中、今度は白装束の巫女が笹を束ねたものを神水につけては、勢いよく上に振り上げる。何か禊のようにも見えるがこの寒空の中、巫女はずぶ濡れになりながら拝殿の祝詞に合わせてそれを続けていた。
一通りの儀式が終えると、巫女は笹の葉を傍で控えていた二人の巫女に託して奥に消えた。
風邪など引かなければ良いが、と思う間もなく今度は人々が彼女たちの前に行列を作る。そして先ほどの笹枝を丁寧に受け取っていた。この一連の光景を眺めていてますます分からなくなった僕は、笹枝を受け取りあまり急いでいなそうな老婦人に声をかけてみる。
自分が旅人であることを告げたあと、その笹枝は何なのかと尋ねると、魔除け・厄除けなのだという。そんな話もそこそこに、折角だから授かってくるように勧められた。列に並び相棒の分と二本の笹枝を手にして振り返ると、その人がわざわざ待ってくれていた。

 

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これは毎月一日と十五日の魔除け・厄除けの神事だということ。笹枝は玄関の外に飾るもので、その飾り方まで教わった。それからこの街がガラスの発祥地だということに因み、最近できたというガラスの祠も案内してくれた。この神社を地元では『てんまのてんじんさん』と親しみを込めて呼んでいることなどを、耳触りの良い地元言葉で教えてもらえたのは実に嬉しかった。

 

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最後に折角だから地元言葉でお礼を言ってみたけれど、慣れないイントネーションで少しはにかんでしまった僕に、
『またきてやぁ~』と笑顔を返してくれた。
こんな旅のめぐりあいも実にいいものだ。

 

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『てんまのてんじんさん』。
この呼び名を教えられる前から、僕は裏門に向かって歩きながらあることに気づいていた。それはこの境内をショートカット
して通り抜けてきた人たちの事だった。自転車にせよ、歩いているにせよ、小走りで急いでいるにせよ、門で必ず境内向かって
一礼し、またそれぞれのスピードに戻って行く。
本殿の傍で梅まつりの準備をしていた職人たちもそうだ。
本殿の前を横切る時にヘルメットまでは取らずとも、キチンと一礼して通り過ぎてゆく。そんな光景を見ていて、きっと地域での信仰の篤い神社なのだと感じた。
  
   
人であれ、土地であれ、物事であれ、好きになってしまえばその対象をより深く知りたいと望むのは当然の事だろう。わずか一年余りの期間で三度目となるこの街。神社のHPにも載っていないこの一日と十五日のこの神事。
偶然とは言え、僕はその日この街に居て、何も知らずにここに来た。
これもまた偶然手にした二本の笹枝を持ちながら再び裏門へと向かう。ここから出る人が皆そうしていたように一礼のあと、
てんじんさんに地元言葉でお礼を言って裏門を後にした。

 

説明が遅れてしまったけれど、『いっぴ』とは僕が以前身を置いていた業界用語で一日の事。
そこでは二月ついたちとは言わず、二月いっぴといった具合だった。

 

 

 

 

 

 

 

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2019年1月11日 (金)

人間の英知と能力 ((-続)  南へ550mileの街へ)

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新年早々から人間の英知と能力などと大きく出てしまったけれど、すすき野での呑み倒しからの最終目的地はこの場所だった。
この街に四半世紀以上も住んでいる姉が、毎年決まって誘ってくれるこの航空祭。けれども二十万人近い人出というのを聞いていて、累々と人の頭で埋め尽くされる基地内の海原を想像しただけで、気が引けていたのも事実だった。そんな訳で今まで特に日程を合わせようと思った事はなくて、自分の気ままなスケジュールでフェリーや陸路の気ままな旅を楽しんでいた。
あれは梅雨明け前のあり得ない暑さの日。
いつものように11月3日だよとのお誘いの電話がかかってきた。新千歳から戻るセール便の日付が、ちょうど良い事に気が付き行き先を、仙台から羽田へと変更したのだった。

 

初めての間近で眺めるB・Iの展示飛行。
目の前を横切っていくのはいいにしても、我々観衆に向かってくる時はさすがに少し恐怖感を覚えた。きっとそれは機体どうしが接触して、コントロールを失ったら・・・という意識がどこかにあったからだろう。けれど彼らの演目を見ているうちにそんな意識はすっかりうすれ、僕も歓声を上げて楽しんでいたのだから。
おそらく途轍もない訓練から齎されたであろう、まるで機械のような正確無比の編隊飛行。それこそが彼らを航空自衛隊のエリート中のエリートと言わしめる所以なのだろう。

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一つの演目が終わると、彼らは編隊を再編成するために基地から離れた場所に向かう。
その時々の静寂の中で、僕は若い頃に読んだジェットエンジンの開発物語を思い出していた。確かドイツで開発され、第二次世界大戦末期に実戦に投入されたこと。当時この圧倒的な速度を持つ戦闘機は、狙いを定める為に大きく速度を落とす必要があり、その間に撃墜されていたこと。結局は逃げる(離脱)する時ぐらいしか優位性を発揮できなかったと書かれていた記憶がある。
 
それから長い年月が流れ、人間は当時とは比較にならない素晴らしい機体と、操縦性を手に入れた。いまや地球の裏側にも気軽に短時間で行けるようになったのは、地球を狭くしたと言われるこのエンジン開発者のお陰なのだろう。

独特な金属音と共に大空に描かれる美しいスモークライン。
きっとこれを見ていた幾人かの子供達に、いつか自分もあの制服を着てコクピットに座るのだという、次世代-Team B・I の夢を刻みつけたに違いない。

 

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空の競技と言えば、いつも楽しみにテレビ観戦をしているエアレース。
それは空のF-1と呼ばれ、Gスーツなしの生身で限界Gに挑む過酷なもので、一度目にすれば誰でも容易に想像がつく。
そのエアレースで一昨年総合優勝に輝いた室屋選手。
随分昔の事だけど、福島スカイパークを通りかかった時に華麗に舞う機体を見たことがあった。それを彼が操縦していたかは定かではないが、室屋選手が隣町の福島市在住で福島スカイパークをホームにしている事を知ったのは、随分後時が経ってからの事だった。
以来僕は一遍で彼のファンになってしまい、エアレースのテレビ観戦を心待ちにするようになったのだった。
来月からアブダビでスタートする今年のレース。
千葉でのレース日程はまだ未定のようだけど、目が離せないレースだ。

 

 

 

 

 

 

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2018年12月 1日 (土)

360mile 離れた北の街のこと

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この街に降り立つのは二年ぶり、そしてちょうどひと月前のことだった。
暫く見ることはないだろうと思っていたクルマで移動する者にとっては、実に便利な東西南北+数字の区画。今回はタクシーに
乗る機会が何度あり、この座標とも言える区画割りの原点はどこかにあるのかと訊いてみた。すると大通り公園のさっぽろテレビ塔前の交差点がいわゆる原点であり、付随した区割りに関する幾つかのルールまでも親切に教えてくれた。
  
 
春先に思いつきで大阪へ昼飯を食べに行ってきた事は、このログに目を通してくれたご貴兄ならご存知の事だろう。
その話を夜の会合(宴席)で話したら、昼飯だけでもったいない事をしたとか、どうして泊まってこなかったのかとか、皆に散々揶揄されてしまった。そこで偶然手に入れたセールのチケットの事を説明した。大阪往復の航空券が地元の山形新幹線で東京に行く片道の運賃にも及ばないこと。そして大阪での滞在時間が7時間あった事を話した。事情を納得するといつしかそれは面白い
遊びという位置づけとなり、今度行く時は一緒に連れて行ってくれという話が出来あがっていた。
 
 
その大阪の記事を書いた直後、あり得ない暑さの中で見つけた冬セール。
大阪の前にすすき野はどうだろうと打診すると、三ヶ月先なら予定はどうにでもなると言った具合で、最小催行人数が4人の
『ふた夜・すすき野 呑み倒しツアー』があっという間に成立した。

旅の大きな楽しみの一つは、旅先で美味しいものを食べる事だと言っても、大方の人達に異論はないだろう。ましてや僕の場合その土地に何があるかで、宿泊地を決めてしまう程の大きなファクターを持つ時だってある。二年前は小樽から旭川に向かう道すがら、この街には半日程しか滞在しなかったのは、旭川でエゾ鹿のジンギスカンが待っていたように。
 
当然の事だろうけれど僕がツアーコンダクターというか、添乗員というかそんな位置づけが自然に出来あがっていた。それでツアー客の御所望はと言えば当然、北海の海の幸とジンギスカン。ひと夜目は当然『活』もある店で、ふた夜目は普通の羊ではなく、北海道の固有種であるサフォーク種の店をチョイスしていた。

 

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北海道大学(北大)。
それは全く僕の中で意識になかった場所だった。駅に隣接したJRタワーの展望台から宿はあの辺りだろうかと眺めていると、木々に囲まれた広大な施設があった。方位案内板を見ると北海道大学と書いてある。しかも宿から歩いて5分程のすぐ近く。食堂や売店やカフェも一般の人(観光客)に解放されており、昼の時間だけは学生教職員が優先というルールさえ守れば誰でも出入りが自由だった。
入ってみて驚いたのはその敷地の広大さ。
キャンバス内には広大な農地が二つもあり、さすが裏路地が好きな僕でも限界を感じてしまう。早朝のキャンバスはランニングをする人、散歩をする人、通勤で通りかかる人と結構賑やかなのだけど、一番ビックリしたのはまだ学生が来ていない講堂の前をキツネが歩いていたことだった。

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サッポロビール博物館。
当初、日中は自由行動とし僕は前回駐車場が満車で入れなかった、北海道立近代美術館に行こうと目論んでいた。けれども成り行きで添乗員としてそれは諦めざるおえなかった。そこで全員の意見が一致して向かったのはここだった。最初は復刻札幌製麦酒と現代のビールの飲み比べに魅かれて申し込んだ有料のプレミアムツアー。
それは明治政府の肝いりで始まった、日本で初めてのビール作りの歴史から学ぶアカデミックなものだった。
  
昨夜、すすき野で何気なく見上げた『ビールはサッポロ』という文字だけのとても大きなネオン塔。
北海道の開拓時代と並行してこの地で進められた過酷なビール作りの物語。
それらを知った上で、この日の夜に再び見上げてみる。
すると大きさから鮮やかさまでが違ってみえるから不思議なものだ。
飲食店でサッポロ以外のブランドを見かけなかったのも、この地がサッポロの牙城とかそんな無粋なものではなく、皆一様にこのブランドを愛し、プライドを持っているのだと気付かされた日でもあった。

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そしていよいよ最終日。
空港での早目の昼飯の後、皆と別れ午後の早い便でひとり羽田に向かった。

 

                                            /* -続- */

 

 

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この曲はもともと1930年台のオペラの挿入歌だったもの。
ジャズでも幅広くカヴァーされて、スタンダードな一曲だと言えるだろう。
雪で覆われる前のこの季節には、ヴォーカルのない彼の演奏で聴きたくなる。
ゆったりとしたテンポで始まり、途中から軽快なメロディーに変わり、再びゆったりとしたテンポで終わる。ビルのピアノに寄り添うようにベースとドラムがメロディーを奏でる。
観客の笑い声や拍手も入っていて、さながら1961年のホールに居るような臨場感も持つ。
 
まだ雪明かりのないちょうど今頃の季節。
漆黒の闇の中で浮かんでくる遠い昔の光景があった。
それらはいまとなっては夢か現実かも曖昧もこで、きっと憧憬にも似たようなものだったのだろう。
このメロディーはあのくぐもった声と共に、ゆっくりと心の中に浸潤してくる。
 
 
I Loves You, Porgy         - Bill Evans Trio -

 

 

 

 

 

 

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