2017年10月14日 (土)

2000kmの非日常(1/4) 洋上の海風

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『来月、大阪に行こうと思っている』、こう話を切り出したのは友人達との宴席での事だった。
案の定みなの反応は距離を勘案してのことだろう、仙台から飛べば一時間とか、新幹線でも半日で着くな・・・というものだ。そこで仙台港からフェリーにクルマを積み込み名古屋港で陸揚げ、そこから陸路で大阪入りの予定なのだと手短に往程を説明した。
それっていったい何時間かかる?とみなが口をそろえる。船が二十二時間で名古屋から大阪まで二時間だから、ちょうど二十四時間をかけて約一千㎞の移動をするのだと答えた。
 
 
昨年のちょうど今頃は北海道への旅だった。
いま思い返してみると何のことはない日本海と太平洋の船旅を愉しみたかったと言うのが本音に違いなかった。往路は新潟~小樽、復路は苫小牧~仙台という天候にも恵まれた最高の船旅だった。そんな事を思い返しても北海道では天候にも恵まれなかったし、ただ目的地の苫小牧に向けて札幌~旭川~美瑛~富良野をただ駆け抜けたという感が否めないだろう。
ちょうど一年まえ、苫小牧から仙台まで僕ら運んでくれたこの”いしかり”という船。
午前十時に仙台港入港後、三時間程で今度は名古屋へ向けての出港となる。昨年はここで下船したのだけど、今回はこれからの行程の起点となる。

 

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福島県小名浜沖あたりで船内アナウンスが流れる。
昨夜七時に名古屋港を出港し、仙台港へと向かう姉妹船と間もなくすれ違うのだという。両船とも汽笛を鳴らし合い、乗客同士が手を振り合うのも船旅ならではの光景だろう。これを反航ということも今回初めて知ったのだった。
クルマで旅をする者にとって長距離フェリーの船倉はまさに宿の駐車場。それこそエンジンを切ればまさに本日の業務終了といった具合なのだ。前回この船に乗り込んだのは夜だったから、満天の星空と左舷の水平線から昇る太陽を堪能したものだった。この船で初めて体験する午後の微睡のような、ゆっくりと流れる何もしないという贅沢な時間。柔らかな日差しとピアノとヴァイオリンの音色が心地良い。時折、スカイデッキに出てみれば刻々と変わる水平線の表情や、そこを渡ってきた海風が酔った頬をクールダウンしてくれる。さまざまな出会いもあり、まさに日没まで過ごしたこの右舷のラウンジは最高の場所だった。

 

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琵琶湖よりも西に行ったことのない僕にとっては、名古屋という上陸地点も魅力的だった。
今回の行程で京都をスルーしたのは、またこの航路でここに来るという根拠のない確信のようなものもあったから。関西への拠点としてはもちろんの事、少し足を延ばせば淡路島を渡り午後二時頃には四国に入り、大鳴門橋から鳴門の渦潮を見下ろす事も可能なのだから。それにこの二十二時間の船旅がセットとなれば、僕にとっては文句のつけようがない基準ルートなのだ。

 

 

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僕がフェリーに憑かれたのはちょうど二年前。
静岡のロダン美術館から伊豆の宿へと向かう途中だった。三保松原は時間がないのでパスするにしても、清水港は通過点に選択した場所のひとつ。宿のある伊豆・土肥港までのフェリー路線があるのは知っていたけれど、乗る気もなかったので時間などは調べもしていなかった。けれど埠頭にいた大きな白い船体はなぜか魅力的に僕の目に映ってしまった。駐車場の係員の人に予約をしていないが、乗れるのだろうか?と訊いてみると出向10分前だから大至急乗船手続きするようにと言われた。
慌ただしく船倉にクルマを積み込みデッキに出ると同時に船が動き出す。少しづつ離れてゆくターミナルを眺めながら途中のコンビニでコーヒーでも、と考えた事を思い出していた。如何せん内陸育ちの腑性からだろうか、折角だから海を見ながら飲みたいと思ったことがいまこうしてデッキで全身に海風を浴びることになっている。旅先でのこんな些細なタイミングというのも面白い。土肥港までの僅か一時間程。この初めての光景がフェリーに憑かれた原点になっている。左を見れば富士山、右を見れば駿河湾を経て太平洋、そしてずっと見とれていたのが、船尾に沈む夕日と航跡に煌くみなもだった。港からわずか数分程度、宿の駐車場で先ほどの光景を思い出していた。当たり前の事だけど土肥港に到着してエンヂンのスタートボタンを押せば、清水港で聴いていたアルバムが途中から演奏されていたし、S・Aにでも立寄ったのと何も変わらなかったのかもしれない。ただ一つ、ナビの通過点の履歴が駿河湾上で途切れていることを除いては。

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2017年8月27日 (日)

夏の幻影 - 2017

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連休が明けて暫くする頃にラヂオから流れてきた夏予報は、例年の猛暑という言葉を上回る酷暑というランク付けのものだった。
暑さが苦手な僕はそれを聞いてまるで蜃気楼のような陽炎の中を歩いている、ふた月先の自分を一瞬想像してしまった。ところが天気というのは実に気まぐれなもの。フタを開けてみればいつもの通りに、全く違う夏の感触が待っていた。特に東日本、僕の住む東北地方は梅雨入りの知らせと共に、猛暑日が十日間程あった程度のカラ梅雨だった。早すぎる猛暑日にこの夏は、大変なことになりそうだと嘆いていた御諸兄方も多かった。そして本来の梅雨明けの頃から始まったのが、太平洋側に住む人にとっては実に悩ましい、いわゆる”やませ”という低温の海風の影響だった。その冷たく湿った空気は東北地方を南北に走る、脊梁山脈(奥羽山脈)を越えられず太平洋岸にずっと停滞するから、余計にタチが悪いらしい。そして僕の住んでいる日本海側にも少なからず影響を及ぼす。それは脊梁を超えて来た残党がもたらす涼しい東風で、真夏なのに猛暑日どころか真夏日にさえ届かせない日が続いた。
 
昨日の昼、ニュースで仙台の連続降雨の話をしていた。
未明の大雨で連続36日の降雨記録を更新したこと。これは昭和9年の大冷害の記録を抜き、東北管区気象台の歴代一位となったこと。日照時間が平年の二割弱だということなどを言っていた。それを聞いて今年は青空に白く浮かぶ入道雲も4~5回しか見ていない事を思い出した。涼しい夏と暖かな冬は街で暮らす僕らにとっては実に都合が良いことかもしれない。けれど農家、特にコメ農家にとっては出穂(しゅっすい)に関わる大切な時期を、このような低温と日照不足に曝された訳で、美味しいコメの消費者として今年の作柄が心配なところだ。

 

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そういえば、今年の夏の涼しさは仙台で過ごした”やませの夏”の記憶を再び引き上げて来た。
真夏なのに20℃に届かない日が続き、半袖のワイシャツなぞとても着ていられるものではなかった。忘れもしない7月31の夜の事。帰り道のブンチョウ(国分町)界隈を歩きながら頭に浮かんだのは湯豆腐と熱燗だったから。
   
ずっと昔のことだけど、そう僕が子供のころの梅雨といえば、しとしとと静かな雨降りが何日か続いたものだけど、近年の梅雨は雨の降り方すら変わってしまったようだ。新海監督のアニメを見てその雨の描写に、何かしら懐かしさと美しさを覚えたのはきっと僕だけではないだろう。

 

 

 

 

9月になると必ず聴きたくなるこの一曲、いままでは”優中部”で聴いているだけだった。
収録されている’78発売のアルバム”スターダスト”がソウルの大御所、ブッカー・T・ジョーンズのプロデュースにより、彼が84回目の誕生日を迎える今年世界同時発売された。もちろん、ひと月も前から予約して手に入れたのはいうまでもない。

 

September Song - Willie Nelson

 

この曲は人の一生を12ヵ月に例えたラヴソング。
明るい夏が終わる9月という変わり目に対し、人が無意識に感じる感傷を歌っているようにも思える。人生を80年と仮定すると、9月と言えばちょうど還暦の辺りにとなる。
普段は老いて益々盛んなどと壮語しているのだけど、こんな人生にもちょっぴり憧れるのは、秋というセンチメンタルな季節のせいかも知れない。

 

 

九月・・・・
解放的でめくるめく季節は過ぎ去り
これからは澄んだ空気のなかで
人にとっての想う季節の始まりだ

 自由人

 

 

 

 

 

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2017年8月11日 (金)

スナップ写真とモノクロ -考-

この本との邂逅は市立図書館の休館日ツァーに参加した時から、既に関連づけられていたのかも知れない。
まるで吸い寄せられるように書棚から手に取った一冊。『新スナップ写真の方法』というもので、オマケで'写真教室では教えない'という前ぶれまで付いていた。それを何気にパラパラと開いてあっ!っと思った。なぜならばそこには、僕もその場に居たならば、きっとこんなアングルで切り取るだろうなと思われる作品が、たくさん並んでいたのだから。そして著者がそのタイミングでなぜシャッターを押したのかが、僕には手に取るように伝わってくるものだった。
  
僕の外出バックは大小の二つがあって、中にはコンデジと呼ばれる小さなデジカメがそれぞれ入っている。
出先で何か気になると風景であれ、街並みであれ、Caféのカップであれ、すぐにメモ代わりに切り取ってしまう。それがスマホならば誰もがSNS用か何かだと思い何も言われないのだろう。ところがコンデジで小首を傾げながら、絞りなど調整していると「どんなジャンルの写真を撮られているのですか?」などと声を掛けられる事がある。こんな時いつも僕は答えに困っていた。なにせ本人は風景だけでもないし、静物だけでもなく、何かしらの動植物物もあれば、列車・クルマ もたまには面白いと思うし、船や飛行機などもまたいいものだと思っているのだから。
 
そして今回この本を眺めて思ったのは、僕の画はすべてスナップ写真というカテゴリに分類できるのだという事なのだ。
調べてみるとスナップ・ショットとはもともと狩猟用語での早撃ちを意味するものだったらしい。それが160年程前のイギリスの写真家がスナップショットのように写真を写すと書いた事が起源であると、今度は写真用語に書いてあった。
  
「作画」という言葉がある。
これは’撮影者の表現意図や狙いによって構図を決め、作品にする為の構成をすること’と書いてある。これは僕にとって一番キライな事で、いや、好き嫌いの問題ではなくて出来ない事と言い切れる。だから普通の人が写真を撮影すると言う事を、僕は敢て、
画を切り取ると言っているのかも知れない。
著者はまた、こう記している。
’スナップ写真とは人物の動きや表情をとらえる写真のジャンルだと解釈されているようですが、花や風景を撮るのだってスナップです’と。これは作画が出来ない僕にとっても、まさにうってつけのジャンルだと言えるだろう。

 

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もう十年ほど昔の事になるだろうか、僕は単身赴任で仙台という街で二年半を過ごした事がある。
自宅に戻ってからもクルマで二時間程度のこの街を幾度となく訪れていて、いまや僕にとっては第二の故郷と言えるような場所になってしまった。そこには戦前あたりからの古い横丁が幾つか残っていて、時間があればたいていそこを彷徨っていたものだ。裏路地と言うとなんだかうらぶれたという感じがあったけれど、最近は若い人も立ち飲みでワイワイやっているのを良く見かけるようになってきた。まさにそこには人がいて街があるのだと言えるだろう。僕が裏路地で面白いと感じるようになった事は人の後ろ姿や影を眺める事。
つまり人間の物語を想像できるとかなんだとか、文学的な言葉をくっつけなくてもけっこう魅力的だったりするのだけど。

 

僕の旅先での愉しみは朝うんと早起きをしてその街を歩いてみること。
それも表の大きな通りではなく、裏路地などの生活感のある路の方がずっと愉しめる事を知っている。そしていつもの事だけど知らない路地を歩いていて角にくるたび、そこを曲がるかまっすぐ進むか迷う。十字路だったなら直進のフィーリングは当然そこに至る途中の掴んでいる訳で、後は左右の選択肢を加えるだけなのだけれど。角を曲がってみようと決めたときは、もしその先に何もなければ(興味を惹くものが)またここへ帰ってくればいいと思って曲がる。そして二度と戻らないこともあったし、またそこに戻ってくることもあった。
いつも思うけれどなんとなく人の人生に似ているような気がする。
 
 
 
モノクローム仙台:

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久しぶりにモノクロの画像を扱ってみて以前感じた事を思い出してしまった。
理系の大人は4Kテレビの細緻な美しさに感動するけれど、素直な子供はモノクロ映像を見て、どうすればあんな画像が作れるのか不思議がっていた。最近、カセットテープをこれは何?と孫から質問を受けた事を聞いたけど、かたや若い人達の間ではレコード盤が再び復活してきているというメールニュースを読んだのもこの頃の事。
 
そういえば真っ赤な夕日を背景に紫の制服の金ボタンが、キラりと光るラストシーンがいまでも思い出されるのだと、しんみりと語ってくれた御貴兄がいた。
でもあの映画は確か、モノクロだったような気がするのだけど。
色が無いぶん想像と言うか、イマジネーションが広がるから面白いのかも知れない。なぜならば下の画がもしもカラー画像だったなら、見る者にそれ以上の想像を許さないのだから。
  
それにしても。
この画を見ると時々気になるのは、ご婦人の洋服と靴、それに犬の着ているシャツの色は?なのだ。そして連想するのはその時々で微妙に違う事が多い。

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