2018年2月12日 (月)

厳寒の砌に感じる春

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立春も過ぎこれからひと月程の間は一番冷え込む時期を迎える。
それにしても今年はやけに気温の低い朝が多いように感じるのは、きっと僕だけではないだろう。たしか数年前に氷点下20℃超えの日があったけれど、ここから更に数℃低い気温は体感的にはあまり区別がつかないような気がする。こんな日はいつも最高気温が氷点下の真冬日だから、硝子に付いた氷霜もきっと夕方まで解ける事がないだろう。
 
今月に入ってから目に見えて陽の光が力強くなったのを感じるし、日脚もずいぶん長くなってきた。
光の春とは良く言ったもので一番日脚の短い時期と、一番寒い時期がずれているのは雪国の人ならずともありがたいものだ。夕方4時半ごろにはとっぷりと日が暮れてしまう冬至の頃とは違い、見るからにキンと冷えた暮色に染まった夕暮れを眺める事ができる。
急激に気温が下がり始める真冬の日没。
融けた水たまりに烏の足跡のような結晶が伸びながら、凍り始める様を見ることができるのもこの時期ならではの事だろう。

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2018年1月15日 (月)

カジュアルな正月

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新しい年を迎えてから早や半月が過ぎ、いつも心待ちにしている”小正月”を迎えた。
元日からの三が日は食べ物をはじめ、街の眺め、テレビ番組、広告チラシまでも賑々しさがあって十分に正月気分にひたる事が出来る。そしてそれが過ぎるとまた何事もなかったようにみな普段の生活に戻ってゆく。それから暫く経つとやってくるこの日は、まさに日常の中にあるもう一つの正月という感覚があり、若い頃からずっと心待ちにしているのだ。
      
一月十五日が成人の日という祝日からお役御免となって、もう二十年近くが経つ。
正月のしめ飾りや門松、それに古いお札などを燃やして健康長寿を願う、どんと焼き(僕の地方ではさいと焼き)は、開催が最寄りの日曜日に移ってしまったけれど、今も子供会を中心に続いているのは嬉しい限りだ。またこの日に合わせて雪の田んぼでは、藁を稲に見立てて行われる雪中田植えなどの伝統行事が各地で行われる。
ここ近年、一般家庭ではあまり飾らなくなったけど、餅花も気分を盛り上げてくれる。この地方では家庭用の餅花よりもだいぶ大ぶりな仕上がりとなってしまう。それはモナカ皮で出来たカラフルな鯛や大判小判、恵比寿様に米俵などが追加されるので、その大きさも畳二枚分を超えてしまうものも珍しくない。それが天上の梁から吊るされるその様は実にカラフルで、モノクロームのこの時期に概ね半月後に迫った立春の気配までも運んできてくれる。

 

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僕は正月のあのなんともいえないシンとした静寂の中で、一年の計を立てるというタイプではない。
昔から日常の雑踏に紛れるようにやってくる、この日を心待ちにしているところを見ると、どうやらこっちの方が性に合っているのかも知れない。それに今年は例年と違って特に幸せな気分で小正月を迎えた。理由は今日が休日であり、しぐれる日が多いなかで好天に恵まれた事なのだ。今朝は今シーズン最低の氷点下17℃という痛みを感じるような冷え込みだった。そんな中、麗しげに空中に舞うダイアモンドダストは実に美しいもので、もうそれだけで今朝の冷え込みも帳消しとなってしまった。
  
さて、今日は少しばかり上等な地酒と昔から続く郷土料理で、カジュアルな正月と祝うことにしよう。

 

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2017年12月19日 (火)

師走の感覚-2017

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今年もあと十日余りとなり、思い返せば実に奇妙な感覚にとらわれた年だった。
初夏のあたりから始まった”それ”は、いつも何かしらソワソワしているような、気分的に落ち着かないような感覚と、単なる思いつきによる自分の行動の事。例えば、もう何年も触れた事のない釣りの道具をひっぱり出してきて、目的の仕様の道具を買い足すといきなり釣りを始めてみたり、長年通った散髪屋を何の理由もなく変えてしまったりと言った具合だ。
一つの物事を行いながらそれに集中する事なく、頭では何かしら別の事を考えていて、今度は急にそっちにスイッチしてしまったりなどは、もういつもの事になってしまっていた。自分の言動に対して、もう一人の自分が違和感を感じる。そんないつもとは違う自分に困惑するのに慣れてくると、こんどはこれからどうなって行くのだろうという一抹の不安がよぎったりしてしまう。

  
あれは十一月の事だった。
ラヂオから不意に流れて来たのは、今年の僕と酷似した体験を語る占いか何かの対談だった。僕は昔から占いなんてハナから信じてないし、何かの片隅に出ていても読もうともしない。初めはそんなバカなと思って聴いていたのだけど、どうやら今年のおかしな自分の行動はこれで説明がつくのかも知れないと思い、さっそくⅤ星Ⅲ心とやらの本を註文した。程なく届いたその本を読み解きながら、今年の自分と照らし合わせてみると妙に納得してしまった。どうやら今年は来年の裏運気とかいうのに傾いていく不安定な年で、吉凶入り乱れるために良く起こることだと書いてあった。来年は完全に裏返るので安定するとあったけれど、今年のようないつもとは違う自分は収まってくれるのだろうか。
もしもそうだったならいままでの”そんな事は絶対あるものか!”派から、”この広い世の中、そんな事もまぁあるのかもな”派にスイッチするかも知れない。今年も残りわずかとなり、その乱気とやらの呪縛が少しずつ薄らいできているのだろうか。それが証拠に今年は更新するのに気が進まなくて仕方がなかったこのブログを今こうして書けている。
嗚呼・・・そんな事を思いつく自体が、もはやあの本に洗脳されているのかも知れないのだけど。

 

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師走も半分を過ぎれば一段と気ぜわしさが加速するような気がする。
僕の場合は頭の中だけでアレもコレもと考えているだけで行動が伴わないから、事態は一向に改善する事もなく、ただ気持ちだけが焦っている。先週の事、クリスマスのデコレーションを買ってきたという知人親子と会った。年中組である彼の息子は僕のだいぶ白くなってきたヒゲを見ながらサンタは本当に居るのかと訊いてきた。そんな事を急に聞かれると彼の純真な目を見て急にドギマギしてしまう。すかさず知人が『もうちゃんとミニカーのおもちゃをお願いしたんだもんなぁ~』とフォローしてくれたので、そうだ、きっと今頃そのプレゼントを一生懸命探しているから、ちゃんとクリスマスには届くからな・・・と話して別れた。
帰りのクルマの中で先ほどのこのやりとりがずっと心に残っていた。
彼はサンタの存在自体を僕に聞いてきたのに、僕はそれを明確には答えられなかったから。まぁ、遅かれ早かれ小学校に上がれば友達同士の会話できっとその答えが出ることだろう。
それからまたうんと年月が流れ、今度はその子が知人のようになるに違いない。

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The Christmas Waltz

 

 

 

 

 

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