2017年8月11日 (金)

スナップ写真とモノクロ -考-

この本との邂逅は市立図書館の休館日ツァーに参加した時から、既に関連づけられていたのかも知れない。
まるで吸い寄せられるように書棚から手に取った一冊。『新スナップ写真の方法』というもので、オマケで'写真教室では教えない'という前ぶれまで付いていた。それを何気にパラパラと開いてあっ!っと思った。なぜならばそこには、僕もその場に居たならば、きっとこんなアングルで切り取るだろうなと思われる作品が、たくさん並んでいたのだから。そして著者がそのタイミングでなぜシャッターを押したのかが、僕には手に取るように伝わってくるものだった。
  
僕の外出バックは大小の二つがあって、中にはコンデジと呼ばれる小さなデジカメがそれぞれ入っている。
出先で何か気になると風景であれ、街並みであれ、Caféのカップであれ、すぐにメモ代わりに切り取ってしまう。それがスマホならば誰もがSNS用か何かだと思い何も言われないのだろう。ところがコンデジで小首を傾げながら、絞りなど調整していると「どんなジャンルの写真を撮られているのですか?」などと声を掛けられる事がある。こんな時いつも僕は答えに困っていた。なにせ本人は風景だけでもないし、静物だけでもなく、何かしらの動植物物もあれば、列車・クルマ もたまには面白いと思うし、船や飛行機などもまたいいものだと思っているのだから。
 
そして今回この本を眺めて思ったのは、僕の画はすべてスナップ写真というカテゴリに分類できるのだという事なのだ。
調べてみるとスナップ・ショットとはもともと狩猟用語での早撃ちを意味するものだったらしい。それが160年程前のイギリスの写真家がスナップショットのように写真を写すと書いた事が起源であると、今度は写真用語に書いてあった。
  
「作画」という言葉がある。
これは’撮影者の表現意図や狙いによって構図を決め、作品にする為の構成をすること’と書いてある。これは僕にとって一番キライな事で、いや、好き嫌いの問題ではなくて出来ない事と言い切れる。だから普通の人が写真を撮影すると言う事を、僕は敢て、
画を切り取ると言っているのかも知れない。
著者はまた、こう記している。
’スナップ写真とは人物の動きや表情をとらえる写真のジャンルだと解釈されているようですが、花や風景を撮るのだってスナップです’と。これは作画が出来ない僕にとっても、まさにうってつけのジャンルだと言えるだろう。

 

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もう十年ほど昔の事になるだろうか、僕は単身赴任で仙台という街で二年半を過ごした事がある。
自宅に戻ってからもクルマで二時間程度のこの街を幾度となく訪れていて、いまや僕にとっては第二の故郷と言えるような場所になってしまった。そこには戦前あたりからの古い横丁が幾つか残っていて、時間があればたいていそこを彷徨っていたものだ。裏路地と言うとなんだかうらぶれたという感じがあったけれど、最近は若い人も立ち飲みでワイワイやっているのを良く見かけるようになってきた。まさにそこには人がいて街があるのだと言えるだろう。僕が裏路地で面白いと感じるようになった事は人の後ろ姿や影を眺める事。
つまり人間の物語を想像できるとかなんだとか、文学的な言葉をくっつけなくてもけっこう魅力的だったりするのだけど。

 

僕の旅先での愉しみは朝うんと早起きをしてその街を歩いてみること。
それも表の大きな通りではなく、裏路地などの生活感のある路の方がずっと愉しめる事を知っている。そしていつもの事だけど知らない路地を歩いていて角にくるたび、そこを曲がるかまっすぐ進むか迷う。十字路だったなら直進のフィーリングは当然そこに至る途中の掴んでいる訳で、後は左右の選択肢を加えるだけなのだけれど。角を曲がってみようと決めたときは、もしその先に何もなければ(興味を惹くものが)またここへ帰ってくればいいと思って曲がる。そして二度と戻らないこともあったし、またそこに戻ってくることもあった。
いつも思うけれどなんとなく人の人生に似ているような気がする。
 
 
 
モノクローム仙台:

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久しぶりにモノクロの画像を扱ってみて以前感じた事を思い出してしまった。
理系の大人は4Kテレビの細緻な美しさに感動するけれど、素直な子供はモノクロ映像を見て、どうすればあんな画像が作れるのか不思議がっていた。最近、カセットテープをこれは何?と孫から質問を受けた事を聞いたけど、かたや若い人達の間ではレコード盤が再び復活してきているというメールニュースを読んだのもこの頃の事。
 
そういえば真っ赤な夕日を背景に紫の制服の金ボタンが、キラりと光るラストシーンがいまでも思い出されるのだと、しんみりと語ってくれた御諸兄がいた。
でもあの映画は確か、モノクロだったような気がするのだけど。
色が無いぶん想像と言うか、イマジネーションが広がるから面白いのかも知れない。なぜならば下の画がもしもカラー画像だったなら、見る者にそれ以上の想像を許さないのだから。
  
それにしても。
この画を見ると時々気になるのは、ご婦人の洋服と靴、それに犬の着ているシャツの色は?なのだ。そして連想するのはその時々で微妙に違う事が多い。

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2017年7月15日 (土)

標高1,800mの避暑

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まだ梅雨真っ最中のはずなのに、今シーズンたぶん4度目の猛暑日の予報。
ラヂオから流れてきたその声は、休日の僕にとって高い山での涼へと誘う、女神の声のようなものだった。蔵王高原にはとてもお気に入りのロッジがある。五月と六月の境目の頃になると秋までのライブスケジュールのハガキがmamaから届く。そこには相変わらず僕が足を運ぶ事が叶わない時間帯がぎっしりと並んでいた。何時だったか、普段はとても行けない時間だからハガキはわざわざいいよと言った事があったけれど、それでも季節なるとポストにちゃんと入っている。いつしかそれが僕にとっての夏の始まりの合図であり、ライブなんていいからお昼たべにおいでよ!というサインになってしまっていた。そんな訳で毎年今頃になると、mamaの大好物である地元の温泉卵を携えたなら、蔵王温泉へのワインディングを一気に駆け上がるのが年に一度の習慣となっていた。
 
 
けれども昨年に続き今年も運に見放されてしまったようだ。
昨年はお昼は食べる事が出来たけれど運悪くmamaは留守だったし、今年はまさかの臨時休業。いつも送ってくれる手のかかった礼状には、相変わらずの元気そうなmamaのイラストが描かれてあって安心したけれど、事前に確かめる事もなく気分で出かけているのは僕の方なのだ。昔人も二度あることは三度あると言っていることだし、今年はスキーシーズンに入って忙しくなる前にもう一度訪ねてみることにしよう。

 

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夏休みにはまだ少し早くて人影もまばらな温泉街。
そこから少し離れたペンションで見つた”ランチ”の文字。ガランとした誰もいない食堂だったけれど、なんとか昼メシにありつくことが出来た。僕には変なジンクスがあって、こんな風にクルマで出かけた時の昼メシは、最初の二軒をつまらない理由でパスしてしまうと、神に見放されてしまったのかと思うほどどんどん運が悪くなっていく。僕はそのスパイラルにハマってゆく自分を、自ら昼メシ難民と呼んでいるくらいだから。
最後の砦である二軒目の見つけたが食べ時、を実感してクルマに戻る時に小洒落たブランコソファーが目に入った。木陰で乾燥した高原の風を感じながら、屋根のフリルが時折ゆれるのを暫く何気なしに眺めていた。
 
記憶というのは実に面白い。
この光景を眺めながら浮かんで来たのは、母親の実家で過ごした小学時代の四年間の記憶だった。ちょうど家の裏には大きな木があって、夏休み限定の大きなブランコベンチでいとこ達と夢中で遊んだこと。永遠に続くように思えた長い夏休み。いまよりも一日がずっとずっと長くて、いろんな遊びをはしごしながら充実した気分で眠りに就いたこと。
それらのタグは記憶の奥底から匂いさえも連れてくるもののようだ。
西日の入る寝室の日向臭さや、眠る前に皆で食べた西瓜と蚊帳の匂い、秘密基地での草いきれの匂いさえもありありと甦えらせるようだ。


高原の爽やかな空気にすっかり馴染んでしまった僕は、35℃超えの下界にはすぐには戻りたくはなくなっていた。
この温泉街の標高は確か800m程で、あと1,000mも駆け上がれば刈田岳の山頂に立てるのだ。平日という道路事情もあってタイトなワインディングロードを軽快に駆け上る。途中チラチラ目をやっていたのが外気温計で、高度が上がるにつれおもしろいように気温が下がってゆくものだ。山頂駐車場で22℃まで下がり、下界で感じたドライヤーの熱風のような風も夢の世界の出来事のような心地良さだった。
 

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帰り際に改装工事中の山頂レストハウスに寄った時、たくさん並んでいる自販機を見てあっと思った。
それはボタンの2/3がまだ赤いHOTままだったから。
ボヤいている人もいたけれど、今日はたまたま高気圧に覆われているからだという事を忘れてはならないのだ。たとえ夏山でもひとたび荒れれば気温は10℃以上も一気に下がってしまう事は珍しい事ではない事を知っている。
 
なぜならばここから西に約50km離れた、標高もほぼ同じ朝日連峰。
梅雨もカラッと明けた七月の末の事、そこを縦走中に凍死しかけたのは何を隠そうこの僕なのだから。
 
 

 

『ワインディングロード = 緩急問わずたくさんのカーブが連続する道のこと』
クルマやバイクで走るには実に楽しい道のりなのだけど、多々として人と人との心の径すじにも例えられる。緩急数多あるカーブを一つひとつこなしていくことは、どことなく人生を歩む事に似ているからなのかも知れない。

 

 

 

 

 

 

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2017年6月30日 (金)

フォントと活字と新聞のこと

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先日、知人の誘いで新築移転された市立図書館を、館長の案内付きで見学する機会があった。
自分の街の公共施設が建て替えられるという機会はそうそうある訳ではない。旧図書館に最後に足を運んだのは二年前の事だから、新館はオープンからほぼ一年という時間が経ってしまっていた。これはどうやら図書館よりもついつい巨大書店に足が向いてしまう、僕の性格が起因しているようだ。今回は一般の人が立ち入れない多くのエリアを見学できるとかで、好奇心の塊のような僕にとっても楽しみな企画なのだった。
休館日の図書館と言えば、夜の博物館ツアーの時のように、いかにもしんとしていそうな印象を勝手に作り上げていたようだ。
けれど1Fのロビーやカフェは設備点検の業者の人がたくさんいるし、2F~の図書館も職員の人たちが忙しく働いていた。館長の説明では意外にも図書館の休館日は、展示替やレイアウト変更などで全職員で作業を行う一番忙しい日らしい。また昔からの郷土資料を保管する温度と湿度が管理されたとても大きな倉庫。中に入ると桐箱で大切にアーカイブされた夥しい数の資料があった。係の人の説明ではこれらの古文書も目録からリクエストすれば、専用の閲覧室で見ることが出来るという。桐箱のひとつを開けて見せてくれたけれど、中身は上杉鷹山公の親書だという。フォントと活字の事を言っているような僕には、とても読むことすら不可能な書簡だった。

特別閲覧室の中では、台車に積まれた桐箱の上に古い新聞の綴りがあった。
この新聞は?と尋ねてみると、明日閲覧のリクエストがある昭和の新聞なのだという。詳しく話を聞いてみると明治から大正まではマイクロフィルムで、それ以降は実物の地方紙がアーカイブされているという。前日までリクエストすれば閲覧できるので、自分の誕生日の新聞などどうか?、などと言われるとこっちの方が興味が湧いてしまう。もちろん有料だけどそのコピーも手に入る。これなら誰かの還暦など、記念日の贈りものにも使えそうだ。
旧図書館はお世辞にも広いとは言えなかったから、閲覧できるものは蔵書のほんの一部だったことを知った。
新しい閲覧室は二階なので表通りに面した三面すべての部分が充てられている。
中でもout-side側の窓にそった長いテーブルに陣取れば、時折往来する人やクルマに目を移し、また季節を感じながらゆっくりと本を読む事ができるだろう。あらためて見回してみると蔵書の量も大型書店に引けをとるものではない。新築ついでに中心街に移転したので僕の仕事場からも、歩いて十二~三分という個人的にも好立地なのだった。

 

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話が最初から横道に逸れてしまっていたけれど、いつも本を眺めて思うのは活字の美しさ。
いつも見慣れているPCは点の集まりで描かれているから、ギザギザで読みにくいのは仕方がないとしても、あまり長い横書きの文章を画面で読むのはニガテな方だ。MacとWinを比べてもデフォルトで使っているフォントは、Macの方がずっと読みやすいのもご諸兄方もご存じの通りだろう。しかし僕は有史以来のWin派だから、乗換のコスト(ソフト等)を考えても躊躇せざる負えないのが実情だったりする。
当たり前の事だけど、本にはひらがなの曲線が美しい日本の活字が、モニタというものが普及するずっと以前から並んでいたのだ。それに背表紙だってそうだ。無理やり横書きを縦に配置している長いアルファベットを読もうをすると僕の場合、頭の中で首を右に90°傾けた仮想空間が必要だけど、日本の文字はそれにも柔軟に対応できている。
知人からは意外だと言われるけれど実は新聞も好きなのだ。
理由は一言で言えば新聞の持つ一覧性だと言える。それに本のように縦書きの日本語を読めるという安心感なのかも知れない。メディアで流れるニュースも民放とNHKではまるで切り口が違うように、Webで流れるニュースと新聞記事の違いもおもしろいものだ。そのあとは移民・難民問題に関心を引かれ、介護やがん治療といった記事も目に入ってくるし、そこから下欄の雑誌の広告へと移り、Webで注文したりもする。この新聞ならではの性質でWebだと読むはずのない情報が入ってくるのもありがたい。
新聞を興味の有無にかかわらず隅々まで目を通すというこの習慣。
これを教えてくれたのも、早起きの習慣となったコラムの別記事に書いてあった、無知を知る第一歩が新聞を読む事だという文章だった。

 

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